わたしの好きな色
今週のお題「わたしの好きな色」
令和カラーとして〈菫〉〈梅〉〈桜〉の3色が公表されています。
優雅な印象を受ける花の色。
特に梅や桜の柔らかいピンクは、日本人にとって馴染み深い色かと思います。
梅、桜、あれ?
〈桃〉はどこに行ったのでしょうか。
どうしてクレヨンのピンクは〈桃色〉なんだろう?
今はストレートに〈ピンク〉と書かれているものも多いですが、不思議に思っていたのは私だけじゃないはず。
〈桃色〉は白と赤を混ぜ合わせてできるシンプルな色。別名に〈桃花色〉があります。
英語で〈ピーチ〉と言えば桃の果実のとろりとした黄色を指すのに対して、日本人の思う桃色は桃の花の淡い紅色なんですね。
花から拝借した色は数多く存在しますけれど、〈桃花色〉は万葉集に登場するくらい古くから日本人に愛されてきた色です。
子供のくせに、桃色が好きなんて子供っぽい!いちご味が好きなんて子供っぽい!と遠ざけることもありましたが、色々なものに触れているとそれらの良さに気がつきます。
子供のころに好きだった色を、今の自分が改めて好きになることができたとき、あの頃の純粋な気持ちにもまた出会えるのかもしれません。
紫陽花のかたち
梅雨になると可憐な紫陽花の彩りが、薄暗い視界にパッと目を引きます。
紫陽花は日本生まれ。
手毬のようなまぁるい形に見慣れているけれど、小さな小さな花の周りを縁取る「額咲き」のものが原種です。
万葉集に初出する紫陽花、それまでは庭に植えて観賞するというよりも、自然に群生しているものにふと歩みをとめるような一期一会な存在だったのかもしれません。
語源としては「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったものが有力なようです。
冠位十二階には確か紫や青が貴い色とされていたので、色を名に込めるくらい大切にされていたのかなと勝手に想像します。
万葉集では「味狭藍」や「安治佐為」など当て字で記されているので、本当のところは分かりませんけれども。
「七変化」「八仙花」と呼ばれるように日本や西洋で品種改良されて様々な色や形を得た紫陽花。
白や薄緑から徐々に青く色づき始める頃が、どこか思い染める姿のようで私は好きです。
雨の日の楽しみ方
今週のお題「雨の日の楽しみ方」
雨といえば日本では傘が必須です。
最近のビニール傘にはカラフルな模様が施されていたり、逆に骨の多い和傘のようなデザインが増えていたり、新しい傘を買ったときは雨の日が待ち遠しかったりします。
でも傘は主に日差しを避けるための「日傘」として日本に伝来してきたと言われています。
皇帝とかお偉い貴人の方がお供に持たせているアレ、天蓋です。
理由としては日差し以外にも人目であったり、魔除けとして使用したりしていたそうです。
中国では閉じる必要性がなく、日本で独自に開閉式の傘(唐繰傘)が生まれました。
傘といい時計といい、日本人は元となったものを改造するのが大好きですね。
推古天皇という女性の魅力
飛鳥時代の始まりについては諸説ありますが、
推古天皇が始めた時代、
という風に進めていきたいと思います。
29代欽明天皇の皇女として生まれた彼女。
お名前は額田部皇女です。
容姿端麗、頭脳明晰、三大美女の日本代表は小野小町さんより彼女が相応しいのではないかと……長くなりそうなので後に回します。
18歳のとき異母兄の31代敏達天皇の妃になり、前皇后の崩御の後に皇后に立てられました。
昔の人は多産ですけれど、それにしても頑張ったねーと声をかけてあげたい気持ちです。
しかし彼女の軌跡はまだまだ続きます。
31代用明天皇(兄)はわずか2年で病により去ります。
聖徳太子のお父様ですね。
ちょっとしたいざこざ(※)がありまして、彼女は32代崇峻天皇(異母弟)を次代に指名しました。
(※敏達天皇を喪った彼女をあろうことか犯そうとした異母兄がいたのですが、そのクズが討たれるという)
これで一安心となるはずでした。崇峻天皇が暗殺されるまでは……
黒幕は判明しています。
蘇我馬子、母方の叔父である大臣です。
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天皇が臣下の手にかけられたのは、(確定済みの)歴史上このときだけ。
次代擁立の候補として挙がった竹田皇子(子)と前皇后の皇子。
33代推古天皇として即位することになった彼女の胸の内は、想像するしかありません。
勢力争いを避けたにも関わらず、竹田皇子はお隠れになってしまいます。
兄の忘れ形見であり、全幅の信頼をおける甥が、彼女の傍に在ったことは奇跡でしょう。
権力欲に塗れた叔父を牽制し、甥を支え、彼女は36年間にも渡り尽力しました。
享年は74歳。
女帝と呼ばれるのに相応しい彼女が、日本の歴史上初めての女性天皇でした。
同じく彼女を支えた甥こそ、日本が誇る才能の鬼、聖徳太子です。