飛鳥時代ってなんぞや?

令和元年なので飛鳥時代についてゆるっと小話

推古天皇という女性の魅力

飛鳥時代の始まりについては諸説ありますが、

推古天皇が始めた時代、

という風に進めていきたいと思います。

 

29代欽明天皇の皇女として生まれた彼女。

お名前は額田部皇女です。

容姿端麗、頭脳明晰、三大美女の日本代表は小野小町さんより彼女が相応しいのではないかと……長くなりそうなので後に回します。

 

18歳のとき異母兄の31代敏達天皇の妃になり、前皇后の崩御の後に皇后に立てられました。

敏達天皇崩御までの約14年間に2男6女を儲けています。

昔の人は多産ですけれど、それにしても頑張ったねーと声をかけてあげたい気持ちです。

しかし彼女の軌跡はまだまだ続きます。

 

31代用明天皇(兄)はわずか2年で病により去ります。

聖徳太子のお父様ですね。

 

ちょっとしたいざこざ(※)がありまして、彼女は32代崇峻天皇(異母弟)を次代に指名しました。

(※敏達天皇を喪った彼女をあろうことか犯そうとした異母兄がいたのですが、そのクズが討たれるという)

 

これで一安心となるはずでした。崇峻天皇が暗殺されるまでは……

黒幕は判明しています。

蘇我馬子、母方の叔父である大臣です。

 

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天皇が臣下の手にかけられたのは、(確定済みの)歴史上このときだけ。

 

次代擁立の候補として挙がった竹田皇子(子)と前皇后の皇子。

33代推古天皇として即位することになった彼女の胸の内は、想像するしかありません。

 

勢力争いを避けたにも関わらず、竹田皇子はお隠れになってしまいます。

兄の忘れ形見であり、全幅の信頼をおける甥が、彼女の傍に在ったことは奇跡でしょう。

 

権力欲に塗れた叔父を牽制し、甥を支え、彼女は36年間にも渡り尽力しました。

享年は74歳。

 

女帝と呼ばれるのに相応しい彼女が、日本の歴史上初めての女性天皇でした。

 

同じく彼女を支えた甥こそ、日本が誇る才能の鬼、聖徳太子です。